| 福管連総会記念講演会より − 今を生きている高齢者を支える − ぼけても 普通にくらしたい |
最初は本当に手作りで始まりましたから、運営資金も何もなく地域の人たちと一緒になってバザーをやってお金を集めて改築資金を作ったり、大家さんから空き家をお借りしたりしながらやっていきました。 そして地域に支えられながら14年間やってまいりました。 |
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▲第2宅老所 よりあい 所長 村瀬 孝生 |
| ■あるお婆ちゃんのお話・・・ |
| 91歳のキヌさんというお婆さんの話です。朝倉郡の出身、物忘れは始まっていました。農家に嫁いでそこで70年間暮らしていたので物忘れはしていてもそれまでの経験で生活ができていました。留守番をしたり、庭の草むしりをしたりして暮らしていました。年の近い息子夫婦と暮らしていました。老老世帯でした。 そのキヌさんが、ある日トイレに行く途中にバランスを崩しまして土間に落ち、腰椎の圧迫骨折の疑いで入院してしまいます。 急激な環境の変化で混乱してしまったのです。 キヌさんが病院内をヨロヨロウロウロして回るので病院側も困り、認知症もあるということから、手足を縛られてしまいました。キヌさんにも理由はあったのです。 おしっこがしたかったのです。 骨折の疑いがあるので安静を強いられ、オムツをあてがわれていました。 |
| ■縛ってでもする医療行為か、トイレにいきたい今を支えることが大事か・・・ |
| 91歳で亡くなるのはある意味では、仕方がないですが、縛られたまま亡くなるのは忍びないとのことでした。 それを聞いて考えました。今キヌさんにしてあげられることは何なのか、明日治るために今日を縛ることだろうか、縛ってでもやる医療行為ではなくて、トイレに行きたいキヌさんを支えてトイレまで導いてあげることができないか。トイレに行きたい今をささえる、それが大事なのではないか。 |
| ■高齢者は、今を生きている・・・ |
| 物忘れのある高齢者に接して思うことは、皆さんそれぞれ今を生きていらっしゃいます。明日でもなく昨日でもない今を生きているのだと感じます。 今をちゃんと支えてあげるとキヌさんは元気になられるのではないかと思い、第2宅老にきてもらいました。 よれよれの状態に見えましたが、周りの皆にきちんと挨拶をされました。 明治の気骨を感じました。「どうぞよろしくお願いします。」と挨拶され、私がお茶とお菓子を出したら、それを押し頂いて、 隣のおばあちゃんに「つまらないものですが」と差し出した。 なんと失礼だなと思いましたけれども、それを見て、何とか元気になられるのではないかと感じました。 5日間は食べませんでした。ただどんなことをしても食べなかったのが、隣のおばあちゃんの「一緒に食べよう!」の掛け声に渋々食べ始めました。 次の日からは食事の心配をしなくて良くなりましたが、正味1食だったと思います。けれども口から食べることで元気になりました。 |
| ■歩くとオナラが・・・ |
| 立てなかったキヌさんが立てるようになり、歩けなかったキヌさんが、歩こうとします。 91歳だったし、括約筋もたるんでいたので、歩くたびにオナラをされます。右足出すとブッ、左足出すとブッといわせながら歩かれるので、キヌさんの顔が見えなくても存在がすぐ分かります。 介護者に体を触らせてくれません。人の世話になるくらいなら死んだほうが良いといって、トイレにいきましょうかと言っても、「そんなところには用はございません」と答えます。 チョッといいですかと声を掛けると、「チョッとこいによかこと無し。」といって逃げます。 ある男性職員が「キヌさん気持ちの良くなるところを知ってるから行こう」と誘いまして、手を取り合ってトイレに入りました。そしたら大変トイレの中から大きな声で「犯されるー」。とんだ勘違いです。その職員も決してイケメンではないのですが、若い男に連れて行かれて、パンツに手が伸びたものだから、危ないと思われたらしいです。 キヌさんはそうやって抗いながら、勝手にお元気になっていかれた気がします。 食べるようになって、歩けるようになると、今度は他の人のお世話を始めます。 「立たんなー!立たんなー!あんた立たんな!」といって一生懸命励ましながらお手伝いがはじまります。 しっかり食べて、歩いて、人のお世話もできるようになると生活が安定してきます。逆に認知力は上がってきます。 今度は「家に帰る。」と言い出します。 |
| ■老いても母です、妻です・・・ |
| 8年間この仕事をやっていると、夕方になって家に帰りたがる人がなんと多いことでしょうか。 特に女性です。どこから探してきたか判らない風呂敷に人の荷物を包んで、それを背負って事務所にみえ、「先生お暇をください。」といわれます。「家に帰ってご飯を作らんといかん。子供や夫が帰ってくるから。」と、とうの昔にすっかり大人になった子供のことや、既に亡くなったご主人のことを心配されて、お帰りになります。しかしそれはもう現実ではないわけですが、お年寄りの心情を推し量ると、ただの徘徊とはいえないのです。 キヌさんは「サイナラー」と言って帰ろうとするので、我々は一緒に付き合うことにします。手を握ろうとしても振りほどき、「昼日中に手を握り合っていたら、世間の人は何と言うかわからん。」と言います。 そんなときは2時間ぐらい一緒に歩き回ります。そして日が暮れて周りが暗くなってくると、手を握ってきて、明かりの点いた家まで連れて行けと言う。しかし近づくとそこは自分の家ではない。そこに座り込んでしまう。 キヌさんは家に帰れなかったと言って途方にくれます。我々はこれからどうやって連れて帰ろうかと途方にくれます。 一緒に途方にくれたときに対等関係が生まれます。その帰れない現実に付き合う。今日も帰れなかった。明日また帰ろうとする。しかし帰れない。この繰り返し。そしていつかもう自分は帰れないんだ。そして自分はこの若い人たちと付き合って行くんだという選択肢が生まれる。 この選択肢が生まれるまで一緒に歩く。付き合うわけです。これを介護の基本にしています。リハビリなんかしなくても、身体能力を維持させていきますから、自分で気づいたら、台所に立っていらっしゃったり、洗濯物を取りにいって自分でたたみ始めたりされます。 |
| ■老いやすい社会が住みやすい社会・・・ |
| お年寄りの孤立、その果てにある精神破綻は何とか我々の地域社会の中で防ぐことは可能なのではないか。 僕らの一番の希望なのです。 人間関係をどう地域の中で、もう一度復活させて、その中で安らかに亡くなれるかどうかということ、それができる社会が一番老いやすい社会である。その老いやすい社会が、子供を育てやすい社会である。 老いの世界と子供の世界がそこのところで繋がっている。 地域のお年寄りの介護をしながら、感じているところでもあります。 ※福管連総会記念講演会での講演を編集いたしました。 |
![]() ▲著書「おばあちゃんがぼけた」 |
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